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【大往生したけりゃ医療とかかわるな 「自然死」のすすめ】

インフォメーション

題名 大往生したけりゃ医療とかかわるな 「自然死」のすすめ
著者 中村 仁一
出版社 幻冬舎
出版日 2012年1月30日
価格 836円(税込)

 

 数百例の「自然死」を見届けてきた現役医師である著者の持論は、「死ぬのはがんに限る。ただし治療はせずに」。

自分の死に時を自分で決めることを提案した画期的な書。

引用:幻冬舎

ポイント

  • 「病気やケガ」は、医者や薬が力ずくで治せるものではない。

  • 死に際は、何らかの医療措置も行わなければ、夢うつつの気持ちのいい、穏やかな状態になるということである。これが自然死の仕組みである。

  • 在宅で「看取らせる」ためには、「信念」と「覚悟」が必要。

サマリー

はじめに 

「死」という自然の営みは、本来、穏やかで安らかだったはずである。

それを、医療が濃厚に関与することで、悲惨で、より非人間的なものに変貌させてしまった。

世の中で一番の恐がりは医師ではないだろうか。

それは悲惨な死ばかりを目のあたりにしてきたせいだと思う。 

本来、年寄りは、どこか具合が悪いのが正常である。

不具合のほとんどは老化絡みであり、医者にかかって薬を飲んだところで、すっかり良くなることはない。

年を取ればこんなものと諦めることが必要なのである。 

あまり医療に依存しすぎず、老いには寄り添い、病には連れ添う、これが年寄りの楽に生きる王道である

年寄りの最後の大事な役割は、出来るだけ自然に「死んで見せる」ことだ。

逝き方は生き方。

今日は昨日の続きである。

今日の生き方をどのように変えていくかご紹介していく。 

医療が“穏やかな死”を邪魔している 

医療者は脇役 

本人に治せないものを、他人である医者に治せるはずがない。

病気やけがを治す力の中心をなすものは、本人の「自然治癒力」である。

少々のケガや病気は、医者にかからなくても薬を飲まずに放っておいても治るものだ。 

本来、医療は、本人の身体の反応する力を利用するものである。

したがって、最後の場面において、血圧が下がってきたからといって、いくら昇圧剤を使っても、血圧が上昇しなくなる。

これは、本人の身体が薬に反応しなくなったためである。 

つまり「病気やケガ」は、医者や薬が力ずくで治せるものではないということだ。

医療者は脇役で、お手伝いするお助けマン、薬はお助け物質、機械はお助けマシーンなのである。  

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