【ウクライナ侵略を考える 「大国」の視線を超えて】

インフォメーション
題名 | ウクライナ侵略を考える 「大国」の視線を超えて |
著者 | 加藤直樹 |
出版社 | あけび書房 |
出版日 | 2024年4月 |
価格 | 2,200円(税込) |
「反侵略」の立場から他民族蔑視に陥らず、歴史の主体としてのウクライナ人に連帯し、歪んだ戦争観を批判。「フリー・ガザ」も視野に普遍的な「新しい世界的公共性」を希求する思想論。
引用:あけび書房
ポイント
- 大事なのは、「本筋」と「枝葉」をしっかりと見分けることだ。枝葉と枝葉をつないで、その結果、「本筋」を見誤ったストーリーを作ってしまうと、必ず歪みが生じることになる。
- 歴史的展開を見るだけでも、ウクライナ・ナショナリズムを「人工物」とみる評価が全くの間違いであることが分かるだろう。
- 「ウクライナ」というアイデンティティの確立はそのまま、帝国たろうとする近隣大国の解体を意味していたということだ。
サマリー
はじめに
私がウクライナという国について学び、考えるようになったのは、2022年2月24日以降のことだ。本来であれば、こんな本を書く資格はないのかもしれない。
しかし、いま侵略されているウクライナの人々に対して、本来であれば彼らの側に思いを寄せるべき人々が、むしろ歪んだ認識に立った非難や冷笑を向けている状況があった。
門外漢の私が、それでもなお無理を押して書いたのは、「いや、その認識はおかしい」と声を上げなくてはいけないと思ったからである。
ウクライナについての本を書くことになるとは、2年前まで想像もしなかった。
建て付けの悪い本なのは自覚している。
それでも、皆さんの思考にとってのたたき台になれば幸いである。
「ウクライナ戦争」とはどのような出来事か
本筋を見いだす
ウクライナ戦争が始まって2年が経つ。
政治も戦況も、その様相は刻々と変わるし、様々な出来事が日々起きている。
そうした中で大事なのは、「本筋」と「枝葉」をしっかりと見分けることだ。
枝葉と枝葉をつないで、その結果、「本筋」を見誤ったストーリーを作ってしまうと、必ず歪みが生じることになる。
もともとウクライナという国自体が、日本はおろか世界の多くの国でも詳しくは知られていない。
その一方で侵略国のロシアが盛んにウクライナの「真実」を発信し、ネット上に大量の情報を流している。
だとすればなおさら、常識的な判断力を磨き、世界の歴史から得られた洞察を補助線として駆使することによって、玉石混交の情報の中から本筋を見いだす必要がある。
ウクライナ戦争とは何か
ウクライナ戦争とは、ロシアとウクライナの二国間戦争であり、大国による侵略戦争であり、かつての抑圧民族と従属民族の衝突である。
それはロシア側にとっては他者としての、主体としてのウクライナを否定し、かつての支配ー従属関係に戻そうとするものであり、ウクライナ側にとっては自国の独立を守り、ウクライナ人としての主体を破壊されないための抵抗である。
このことは、両者のナショナリズムの評価にも当然、関わってくる。
同列に、同様に見ることはできない。
ウクライナ・ナショナリズムは「危険」なのか
ウクライナはレーニンがつくったのか?
ロシア擁護言説において否定の対象となっているのは、ウクライナのナショナリズムである。
プーチンは「ウクライナの極右民族主義者やネオナチ」の脅威を訴え、ウクライナの「非ナチ化」の必要を主張した。
ロシアの擁護言説では、ウクライナ・ナショナリズムとは、レーニンあるいはソ連によってつくられた人工的なものであり、ナチスドイツに協力した過去を持つ危険な運動であり、独立したウクライナの国家建設を挫折させ、ロシアの侵攻を招いた破滅させた思想であるということになる。
そもそもナショナリズムとは、「自己の独立、統一、発展を目指すネーション(国民)の思想と行動」のことだと坂本氏は解説する。