【バスドライバーのろのろ日記】

インフォメーション
題名 | バスドライバーのろのろ日記 |
著者 | 須畑 寅夫 |
出版社 | 発行:三五館シンシャ 発売:フォレスト出版 |
出版日 | 2023年6月 |
価格 | 1,430円(税込) |
「お客を選べない仕事」
路線バス運転士が描ききる、
車内と車外のいびつな風景
――運転手の分際で!
どんな職業でもそうだろうが、仕事が充実して幸せだった時期も、そうではなかった時期もある。悔しくて眠れないほど嫌な体験もしたし、この仕事に就いてよかったと心から思える出来事もあった。
路線バス運転士として働いて見えてきたのは、それまで乗客として眺めていたのとはずいぶんと違った光景だった。
――本作に描くのは、すべて噓偽りなく、私が実際に体験した事実である。
引用:フォレスト出版
ポイント
- 私の体験談を通じて、多くの人たちにバス業界の実態と、そこで働く人々の苦労や喜びを感じてもらえたら嬉しい。
- 私は47歳で東神バスに入社して、49歳のとき「副班長」になり、51歳で「班長」になった。班長のときは、バスドライバーが楽しくて仕方ない時期でもあり、社内の「優秀運転士表彰制度」で表彰を受けた。
- どんな人生でも、どんな仕事でも、社会に役立っていると感じられるのは幸せなことだ。
サマリー
なんでわざわざ運転手に?
40代後半でバスドライバーになる前、私は社会科を教える私立高校の教師だった。
大学を卒業して就職する際、「大人の判断」で教師をめざしたものの、心のどこかに乗り物の運転士になりたいという気持ちはくすぶり続けていた。
40代半ばに差しかかると、その気持ちがむくむくと湧き出て、今やらなければ一生乗り物の運転士になれないと、考えるようになっていた。
その後、家族の理解を得て、教師を退職し、バスドライバーになるための終活を開始することが出来たのは、私が47歳のときだった。
本書に綴ったことはすべて嘘偽りなく、私が実際に体験した事実である。
私の体験談を通じて、多くの人たちにバス業界の実態と、そこで働く人々の苦労や喜びを感じてもらえたら嬉しい。
バスドライバー、その哀しき日常
舌打ち
平日の朝、通勤や通学のお客が多く乗車すると、バス停ごとの停車時間が長くなる。
この時間は車の数も多くなり、駅に近づくにつれて渋滞が発生してくる。
信号が青色から黄色に変わったときだった。
ブレーキを踏んで停車すると、運転席後方から「はぁ〜」というため息が聞こえる。
黄色信号での停車に対し、「遅れているんだから、止まらず行っちゃえよ」という意思表示なのだろう。
このお客ほど露骨ではなくても、舌打ちをしたり、ため息をついたりするお客は多い。
黄色信号での停車は道路交通法上、守るべきルールだが、片側2車線以上ある道路で並走しているクルマが止まらずに走り去っていくのに、自分の乗っているバスが停車すると、のろのろと運転しているように思えてイラッとするようだ。
法定速度を守って走っている時も、「おせーなぁ」とか「トロイなあ」とぼやくお客様もいる。
バスが遅れたときは、電車に間に合わないとか会社や学校に遅れるとか言って急かしてきたり、クレームをつけてきたりする。
この仕事に就いたばかりのころは、こんなクレームが気になり、腹が立ったり、言い返してやろうかと思ったりした。
しかし、何度もこんな経験をするうちに「慣れる」ようになった。
慣れなければやっていけないのもバスドライバーの真実なのである。
班長になる
私が所属する「東神バス株式会社」は神奈川県に本社を置くバス会社で、社員数は500名を超える。
営業所のトップが「所長」で、それを補佐するのが「副所長」、その下に「助役」が数名置かれている。
130名いるドライバーは12~13名で1つの班を構成し、横浜営業所内には10の班が存在する。
これをまとめるのが「班長」「副班長」で、勤続年数が2年を超え、登用試験(面接)に合格すればなることができる。
私は47歳で東神バスに入社して、49歳のとき「副班長」になり、51歳で「班長」になった。
班長のときは、バスドライバーが楽しくて仕方ない時期でもあり、社内の「優秀運転士表彰制度」で表彰を受けた。
このころの私はバスドライバー人生でもっとも輝いていたのかもしれない。
しかし、社内派閥が存在する風土の職場に、新所長として佐山氏が着任した。
佐山所長は、運行ミスや事故が起きたとき、当時者の言い分はほとんど聞かず、一方的に怒鳴りつけた。
「何をやってるんだおまえは!やる気あんのか!」
「おまえなんかもうやめちまえよ!」
要領よく「所長、所長」といって媚びてくる人を優遇し、まじめで大人しいが媚びない人を冷遇するような人間だったのだ。
バスドライバーだって人間だもの
ある日の午前10時すぎ、海老名駅に向かうバスを運行中のことだった。
「次は郵便局前でございます」と車内案内放送を流すと、ピンポーンという音とともに運転席にある降車を知らせるランプが点滅した。
私は「はい、次、停車いたします」と車内アナウンスをしたにも関わらず、バス停を見逃して通過し、「あっ、降ります」とのお客の声で気がついた。
バスを停車させた場所は、止まるべきバス停から10メートルほど過ぎていた。
「たいへん申し訳ございません。ここで降車していただいてもよろしいでしょうか」
40代くらいの小柄な女性が何も言わずに降りていった。
本来ならここで営業所に無線を入れなければいけなかったが、班長であった私は自己保身の言い訳を用意して、そのままバスを走らせた。
しかし、バスを降りた女性は、すぐさまバスの後部の写真を撮り、クレームの電話をしていたのだ。
そして、このことの責任を問われ、班長を辞任することになる。
その10か月後、自転車の飛び出しに気を取られ、またもやバス停を通り過ぎてしまった。
さらに、咄嗟にハザードランプをつけてバス停の位置まで20メートルほど禁止事項のバックをしてしまったのだ。
私はその後神奈川営業所への転勤を求められた。実質的な左遷である。
新天地では人柄の良い松田所長のもと、充実した日々を送ることができたが、8か月後にはあの佐山所長が人事異動で所長になったのだ。
異動してきた佐山所長は、あいさつをした私に「あんたのことは信用していない」と冷徹に言った。