【自己肯定感を高める、アドラーの名言】
インフォメーション
題名 | 自己肯定感を高める、アドラーの名言 |
著者 | 桑原晃弥 |
出版社 | ぱる出版 |
出版日 | 2023年7月 |
価格 | 1,540円(税込) |
比べるべきは「他人」ではなく「昨日の自分」です。昨日の自分と比べてほんの少し進んでいれば、それが進歩であり、その積み重ねが成長となります。今の自分に自信が持てず「変わりたい」のなら、まずは一歩を踏み出すことが大切です。それが自分を変え、周りを変え、人生を変えていくことになります。
本書ではアドラーの専門家が、自己肯定感を高め「自分を100%肯定できる考え方」を、アドラーの名言と共にわかりやすく解説します。
人はいつだって変わることができる!
自分で自分の価値を信じる/変化を恐れず変化を迎え撃つ/まず自分を信じ自分で行動を起こす/嫌われることを恐れず「ノー」と言う勇気を持つ/人の価値は他人の評価だけでは決まらない
『人は努力と訓練によって、何者にでもなることができる』
大切なのは自分の可能性を信じ、仲間を信じること。それだけで人生は豊かになる!
引用:ぱる出版
ポイント
- 「人は努力と訓練によって、何者にでもなることができる」という楽観主義が、心理学者アルフレッド・アドラーの基本的な考え方だ。
- 課題に直面したときにやるべきは、今自分にできることに専念することで、自分の手に負えないことをきにするべきではない。自分にできる、自分がやるべき当たり前のことを当たり前にやることこそ成功への道なのだ。
- 迷うことや悩むことの目的は「決めない」ためである。そんな自分と決別するためには「今、決める」こと、または、「考え抜いた結果として答えを出したなら、この選択が最善だったと思えるように全力を尽くす」ことだ。
サマリー
はじめに
「人は努力と訓練によって、何者にでもなることができる」という楽観主義が、心理学者アルフレッド・アドラーの基本的な考え方だ。
そこには自分次第で未来は変えることができるという明るさがあるとともに、自分を変えていくことの難しさは誰もが経験しているところである。
また、努力が実を結ぶまでの間に、つい周りと比べて「自分はダメだ」と落ち込みがちだ。
しかし、比べるべきは「他人」ではなく「昨日の自分」だ。
昨日の自分と比べてほんの少し進んでいれば、それが進歩であり、その積み重ねが成長となる。
今の自分に自信が持てず、「変わりたい」のなら、まずは一歩を踏み出そう。
大切なのは自分の可能性を信じ、仲間を信じること。
それだけで、人生は豊かになるものだ。
第4話:「自分に価値がある」と思えるからこそ課題に挑戦できる。周りがどうあれ、自分で自分の価値を信じよう。
人が人生の課題を回避しようとするのはどんな時か。
課題そのものがあまりに困難で「自分には無理だ」としりごみしてしまうこともあるが、それ以上に「自分には価値がないので、課題に直面する勇気を持てない」と思っているケースも多いというのがアドラーの考えだ。
ある少年のケースを見てみよう。
彼は小学校の成績も悪く、周りからは怠惰とみなされ、級友ともうまくやっていくことができず、いつもからかわれていた。
周りは、単なるできの悪い、バカな子供と思っていたが、アドラーが調べると、違う理由が浮かんできた、
少年は強いコンプレックスに苦しんでいることが分かったのだ。
少年には非常にできのいい兄がいて、母親や兄からいつも「バカ」といわれていた。
兄弟や姉妹間の比較というのは、「温かい家庭」という逃げ道がないだけに、級友たちとの比較以上にこたえるものだ。
本来「味方」であるはずの親や兄弟から「バカ」といわれ続けたことで、少年は「自分には価値がない」と信じ込むようになってしまったのだ。
しかし、少年は本当にダメな子供ではなかった。
足りないのは自信だけであり、自信さえ回復すれば、すぐに級友と同じくらいやり遂げる力を秘めているというのがアドラーの見方だ。
アドラーによると、「自分に価値があると思うときにだけ、勇気を持てる」のだ。
勇気があればこそ、人は難しい課題にも挑むことができる。
もし自分に自信が持てないときは、「今日一日何をやったのか」をノートに書いてみよう。
すると、「何もなかった」はずの一日でも、たくさんのことをやっていることがわかる。
それを見れば、「案外自分も頑張っているな」と思えてくるはずだ。
そうやって自分で自分の価値を信じることができるようになると、自ずと自信がわいてくる。
少し照れくさくても、自分で自分を認め、ほめることが大切だ。
第14話:自分では何もせず、問題を指摘するだけの「評論家」にはなるな。誰かに期待するのではなく、自分から率先して「動き出す」人であれ。
アドラーは、行動せずに批判ばかりしてる「傍観者」「評論家」を嫌い、こんな例を挙げた。
老婦人が道で足を滑らせ、雪の中に落ちて、すぐに立ち上がることができなかった。
人通りは多かったにも関わらず、すぐに立ち上がることができなかった。
ようやくある人が老婦人を助け起こしたその瞬間、どこからか一人の人間が現れ、老婦人を助けた人をこう賞賛した。
「とうとう立派な人が現れました。私はそこに立ち、誰が老婦人を助けるか、私はそこで待っていたのです。」
この人の行為は明らかに間違っている。
やるべきことは、見守るのではなく、まずは近づいて助け起こすことだ。
何らかの事情で自分にはできないのなら、近くの誰かに助けを求めるべきだ。
ところが、この人は自らは行動を起こすことなく、人の行動を評論することで、自分の立場、正しさを誇示しようとしたのだ。
頼まれもしないのに「裁判官役」を買って出て、他人に賞賛を与えるのは見せかけの貢献であり、一種の傲慢だ。
こうした傍観者的態度に対し、アドラーはこういった。