【スタンフォード大学で一番人気の経済学入門 ミクロ編】
インフォメーション
題名 | スタンフォード大学で一番人気の経済学入門 ミクロ編 |
著者 | 著:ティモシー・テイラー(TIMOTHY TAYLOR) 監訳者:池上彰 訳:高橋 璃子 |
出版社 | かんき出版 |
出版日 | 2013年2月 |
価格 | 1,650円(税込) |
経済はむずかしい。簡単に理解できる本はないだろうか。
こんなことが言われるのは、日本だけではないのですね。アメリカでもしばしば聞かれる声だそうです。では、それに応えよう。こうして生まれたのが、この本です。
著者のティモシー・テイラー氏は、経済学者。アメリカ経済学会発行の雑誌の編集に長年携わってきました。全米各地の大学で経済学の講義も担当し、スタンフォード大学とミネソタ大学では「学生が選ぶ講義が上手な教師」の1位を獲得しています。
アメリカの有名大学といえば、東はハーバード、西はスタンフォードです。極めて優秀な学生たちが熱狂したテイラー先生の講義とは、どんなものだったのか。この本で体験してみましょう。その教え方のうまさは、実際に本文を読んでいただければ明らかです。
経済の基本を、身近な具体例を引きながら、鮮やかに説いていきます。
経済学の基礎を知れば、世の中のしくみが見えてくる。
国民のためにどんな政策が必要かもわかってくる。彼はこう説きます。この考え方は、私とまったく同じです。
たとえば、現代の日本を考えてみましょう。
日本は長い間デフレに苦しんできました。2012年暮れの衆議院議員総選挙で自民党の安倍内閣が発足すると、日銀に対して大胆な金融緩和を求めました。政府も公共事業への支出の拡大をはじめました。これによってデフレから脱却しようというのです。経済学の基本が理解できていれば、こうした政策転換の意味と、今後の見通しがわかってきます。
経済学の基礎が身についていれば、日本の未来シナリオを、自分自身で描けるようになるのです。そんな基礎を身につけるのに役立つのが、この本です。わかりやすい説明方法は、まさにわが意を得たりです。
経済学を基礎から学びたいと考える人の動機はさまざまでしょう。
「これから大学の経済学部や経営学部、商学部などで経済学を学ぶことになるので、その前に経済学はどういうものか、概観しておきたい」あるいは「大学で経済学を専門に学ぶわけではないが、世の中のしくみを知るため一般教養として経済学を学んでおきたい」
こうした人たちに、この本はぴったりです。とりわけ就職活動をする学生さんであれば、この程度の経済学の知識は持っておいてほしいところです。経済新聞を読むのもいいですが、基礎がないと理解できません。まずはこの本で、肩慣らしておきましょう。
もちろん社会へ出て活躍しているビジネスパーソンにもお勧めです。日々の仕事を通じて、「もっと経済学を勉強しておけばよかった」と反省している人も多いことでしょう。 経済学の学び直しに役立ててください。
「監訳者まえがき」より抜粋
引用:かんき出版
ポイント
- 経済学は特定の答えを提示するものではなく、答えを導きだすための思考の枠組みを与えてくれるものなのだ。
- 弾力性とは、価格の変動によって、ある製品の需要や供給が変化する度合いを示す数値のことだ。
- 経済を考えるうえで最も大事なのは、理想論や先入観を排して、あくまでも実際的に考えることだ。
サマリー
経済学をどのように身につければいいのか
本書を読めば、経済を考えるための確実な足場を手に入れ、自信を持って経済を語れるようになるだろう。
経済学は特定の答えを提示するものではなく、答えを導きだすための思考の枠組みを与えてくれるものなのだ。
経済学には、ミクロ経済学とマクロ経済学という2つのアプローチがある。
ミクロ経済学は個々のプレイヤー(経済活動をする個人や会社・政府)に注目し、マクロ経済学は経済全体の動きを視野に入れる。
ミクロ経済学が木を見るのに対し、マクロ経済学は森を見るのだ。
経済を語るためには、ミクロとマクロの両方を知ることが大切だ。
本書(ミクロ編)では、おもにミクロ経済学の視点から経済を読み解く。
経済学を理解するための4つの考え方
経済学の考え方を理解するための下準備として、4つの基本的な考え方を見ておこう。
①ものごとにはトレードオフがある
ものごとには、トレードオフがあり、何かを改善しようとすれば、別の何かに悪影響がでるかもしれない。
実はこのことを忘れてしまう人が意外と多いのだ。
②利己的な行動が社会の秩序をつくる
「経済学の父」と呼ばれるアダム・スミスは、著者『国富論』で、「見えざる手に導かれて、自分がまったく意図をしていなかった目的を達成する動きを促進することになる」と述べた。
「見えざる手」とは、自分の利益を追求することによって、知らないうちに他の人たちに利益を与えることがあるという考え方だ。