【禅的生活】
インフォメーション
題名 | 禅的生活 |
著者 | 玄侑 宗久 |
出版社 | 筑摩書房(ちくま新書) |
出版日 | 2003/12/08 |
価格 | 858円(税込) |
生きにくい世の中である。
不況、雇用不安などの外圧もさることながら、個人の内部に深く根差した、生きるための目標、足場の固め方までもが見えにくくなっている。だけど、しょせん人はこの身と心で生きてゆくしかない。それならいっそ、ものの見方をがらりと変えて、もっと楽に生きるための思考法を身につけてしまおう。
作家にして禅僧である著者が、禅語をもとにその世界観をひもときながら、「今」「ここ」を充実させるための様々な智慧を、坐禅なしに伝授してしまおうという画期的にしてフラチな人生指南&禅入門の一冊。
引用:筑摩書房
ポイント
- 禅僧である著者が、生きるのが楽だと感じるようになったのは禅を学んだからだ
- 「迷い」や「悩み」が生じるのは、先入観をもたない心で物事に向き合わないからだ
- あらゆることを「風流」として楽しむことこそ楽に生きる手助けとなる
サマリー
はじめに
禅僧である著者が、生きるのが楽だと感じるようになったのは禅を学んだからだ。
禅語をもとに、少しでも心が軽くなる生き方を指南してくれる本である。
なぜ「迷い」が生じるのか
「可もなく不可も無し」
通常は、良くも悪くもない、まあまあである、といった意味で使われることが多いのだが、禅の世界では全く違った意味でとらえられる。
通常、私達が「自分」と認識しているのは理性で把握している自己だが、理性が「自己」を全て把握できているわけではない。
禅は、自己の内部には無限の可能性が存在すると認識するところから発想を始める。
例えば、疲れている時や睡い時は、「アクビ」が出る。アクビをすると脳内に酸素がまわり自然とリラックスできるが、ここで禅的な考え方をすると、リラックスできるなら意識して出してみようということになる。
実際、意識してアクビを出すことは可能である。一息吐いてから口を開け、意識を両耳を結んだ中心あたりに置く。すると後頭部が締まりだし、口がさらに開いてアクビが出る。
睡たいという「心」も、眠りたいという「身体」の欲求も、私たちの意識によってかなり制御できるのである。
できるかできないかを試す前に判断することは、自分の可能性をみくびるということだ。
つまり「可もなく不可もなし」の禅的な意味は、自分はどんな可能性も秘めている存在だということである。