【リベラリズムの終わり その限界と未来】
インフォメーション
題名 | リベラリズムの終わり その限界と未来 |
著者 | 萱野 稔人 |
出版社 | 幻冬舎 |
出版日 | 2019年11月28日 |
価格 | 924円(税込) |
自由を尊重し、富の再分配を目指すリベラリズムが世界中で嫌われている。
米国のトランプ現象、欧州の極右政権台頭、日本の右傾化はその象徴だ。
リベラル派は、国民の知的劣化に原因を求めるが、リベラリズムには、機能不全に陥らざるをえない思想的限界がある。
これまで過大評価されすぎたのだ。
リベラリズムを適用できない現代社会の実状を哲学的に考察。
注目の哲学者がリベラリズムの根底を覆す。
引用:幻冬舎
ポイント
- 「リベラリズム」は、「自由主義」と訳される言葉で、個人の自由を尊重する哲学的な原理のことであるが、その「自由を尊重する立場」の人たちへの風当たりが強くなってきている。
- リベラル派への風当たりが強いのは、リベラル派は、パイ(社会的資源)の分配を手厚くすべきという立場にたつからである。
- リベラリズムの価値を救出したいなら、リベラリズムによって解決できることとできないことを見極めて、リベラリズムの適正な使用について考察を深めなくてはならない。
サマリー
リベラリズムへの風当たり
「リベラリズム」は、「自由主義」と訳される言葉で、個人の自由を尊重する哲学的な原理のことである。
その「自由を尊重する立場」の人たちへの風当たりが強くなってきている。
時代の流れとして、個人の自由を尊重する社会の傾向は強まっているように思える。それなのに、なぜ風当たりが強くなっているのか。
古典的リベラリズムの限界
多くの人は、リベラリズムを同性婚には適用しても、多妻婚や近親婚には適用しない。
リベラル派も同様である。
これは、リベラリズムの原理よりも、結婚をめぐる規範意識のほうが根源的であることを示している。
リベラル派を標榜する人たちにとってさえ、リベラリズムはもっとも根源的な秩序原理ではない。
リベラリズムが適用される範囲を、無意識にせよ、限定しているからである。
この点で、リベラリズムは社会をくみたてる最高原理にはなりえない。