【仕事なんか生きがいにするな 生きる意味を再び考える】
インフォメーション
題名 | 仕事なんか生きがいにするな 生きる意味を再び考える |
著者 | 泉谷 閑示 |
出版社 | 幻冬舎 |
出版日 | 2017年1月 |
価格 | 858円(税込) |
働くことこそ生きること、何でもいいから仕事を探せという風潮が根強い。しかし、それでは人生は充実しないばかりか、長時間労働で心身ともに蝕まれてしまうだけだ。しかも近年「生きる意味が感じられない」と悩む人が増えている。結局、仕事で幸せになれる人は少数なのだ。では、私たちはどう生きればよいのか。ヒントは、心のおもむくままに日常を遊ぶことにあった――。独自の精神療法で数多くの患者を導いてきた精神科医が、仕事中心の人生から脱し、新しい生きがいを見つける道しるべを示した希望の一冊。
引用:幻冬舎
ポイント
- 人間は、生きることに「意味」が感じられないと生きていけない。便利で安全な生活の一方で、「生きる意味」が感じられないと苦悩する人々が増えている。
- 古代ギリシヤでは、「労働」とは必要に迫られて行う作業を指し、永続性のある道具や作品を生み出すのが「仕事」であった。産業革命によって大量生産が始まり、「仕事」は、分業化された「労働」に貶められてしまった。
- 生きる「意味」は、「価値」あることをなすことによってではなく、「心=身体」が様々なことを「味わい」、喜ぶことによって実現されるのである。
サマリー
はじめに
人間は、生きることに「意味」が感じられないと生きていけない。
私たちは、便利で安全な生活を手に入れたが、その一方で、「生きる意味」が感じられないと苦悩する人々が増えている。
私が精神科医として扱う問題も、最近では、「何をしたいのかわからない」といった「存在意義」や「生きる意味」に関するテーマが持ち込まれることが多い。
若者を中心に、「実存的な問い」を抱えたクライアントが増えてきているのだ。
「働くこと」への違和感の正体
「生きることの意味」を考える上で、避けて通れない問題が「働く」ということである。
ユダヤ人の哲学者、ハンナ・アレントは、古代ギリシヤでは、「労働」とは必要に迫られて行う作業を指し、人間ならではの永続性のある道具や作品を生み出すのが「仕事」であったという。
また、自然や宇宙の真理を感じ取るべく、静かにそれと向き合う「観照生活」というものが位置付けられ、これこそが究極の人間らしい在り方とされていたという。
しかし、産業革命によって大量生産が始まり、人間らしい手応えを得られるはずの「仕事」は、断片に分業化された「労働」に貶められてしまった。
そして労働こそが社会経済の根本的価値になり、「観照生活」は、怠惰で非生産的なものと捉えられるようになった。
人間らしい「世界」を取り戻すためには、儲かるとか役に立つとかいった「意義」や「価値」を追求する「資本主義の精神のエートス」から目覚めなければならない。
そして、生き物としても人間としても「意味」が感じられるような生き方を模索することだ。