【総決算: ジャーナリストの50年】
インフォメーション
題名 | 総決算: ジャーナリストの50年 |
著者 | 池上 彰 |
出版社 | 早川書房 |
出版日 | 2024年06月 |
価格 | ¥1,078 (税込) |
池上彰、記者生活50年の総決算!「人が死ぬと池上が顔を出す」。NHK時代から50年にわたり記者として活動し続ける池上彰が語る、時代を経ても変わらない報道の本質とは? ロッキード事件から地下鉄サリン事件、3.11、能登半島地震まで、自らの歩みとともにつづられる激動の日本報道史!
引用:早川書房
ポイント
- 記者は、事件現場で警察が張った立ち入り禁止のラインを越えて、現場に近づくことができる。なぜだろうか。それは、その記者が視聴者や読者の代理人だからである。
- 呉市は被爆者の数が全国3位の都市だった。あの日、広島市は一発の原爆で破滅し、原爆のキノコ雲が、呉市からもよく見えた。「広島市に大きな爆弾が落ちて、大変な被害になっている」という連絡を受けた呉市の人々が、大挙して広島市に救護に駆けつけ、そこで被爆(正確には放射線被爆)してしまったのだ。
- 放送は、人の命を助けることもできる。新聞や雑誌など、マスコミには様々な役割があるが、地震が起きて津波が発生したとき、いち早く人々に知らせることができるのは放送だ。
サマリー
記者は国民の代理人
記者はなぜ非常線を越えることができるのか
1973年4月、僕は記者になりたくてNHKに入社した。
新人研修時代のこと、研修テキストに大変印象に残る文章があった。
それは、「記者はなぜ非常線を越えて現場に近づけるのか」という解説であった。
記者は、事件現場で警察が張った立ち入り禁止のラインを越えて、現場に近づくことができる。
なぜだろうか。
それは、その記者が視聴者や読者の代理人だからである。
その特権が認められているのは、国民の「知る権利」を守るためのものであって、決して記者の勝手な振る舞いを許しているわけではない。
だが、記者が現場を見ることができても、その様子をきちんと視聴者や読者に伝えることができなければ、それは視聴者や読者の代理人としての役割を果たしていないことになる。
記者が的確な取材力・表現力を身につけることは、国民の「知る権利」の維持・発展のための義務なのである。
このような要旨のことが書いてあった。
僕は感動した。
記者は、「視聴者からの負託を受けているという極めて責任重大な立場にいる」という自覚を初めて持った瞬間であった。