【出版翻訳家なんてなるんじゃなかった日記】

インフォメーション
題名 | 出版翻訳家なんてなるんじゃなかった日記 |
著者 | 宮崎 伸治 |
出版社 | 発行 三五館シンシャ/発売 フォレスト出版 |
出版日 | 2020年12月 |
価格 | 1,540円(税込) |
ベストセラー『7つの習慣 最優先事項』の翻訳家
なぜ出版業界を去ったのか?
出版界の暗部に斬りこむ
天国と地獄のドキュメントは
30代のころの私は、次から次へと執筆・翻訳の依頼が舞い込み、1年365日フル稼働が当たり前だった。その結果、30代の10年間で50冊ほどの単行本を出すに至った。
が、そんな私もふと気がついてみれば、最後に本を出してから8年以上も経っていた。
――なぜか?
私が出版業界から足を洗うまでの全軌跡をご紹介しよう。
――本書は、翻訳家を夢見る青年が必死でその夢を掴み取り、一躍売れっ子になり、しかし業界に失望し、トラウマを抱え、足を洗うまでの軌跡である。
引用:フォレスト出版
ポイント
- 私は出版翻訳家になる夢を抱いていたものの、専業作家になることを決意。生活のために売り込みをかけたA書房から、翻訳の依頼が来た。当初は社長の訳者名で出すと言われたが、最終的には自分の名前で出ることになった。ひょんなことから私の初めての翻訳書が世に出たのである。
- 翻訳家は、刷り上がった見本書籍を手に取る日が待ち遠しく、ワクワクしながら待っている。しかし、Cセラーズの担当編集者は、見本書籍を渡すと言って呼び出し、印税を6%から4%にカットすると告げたのだった。
- Cセラーズの後任は二度と印税カットはしないと言ったが、出版直前にまたしても印税を下げようとした。「裁判所」というキーワードを出してビビらせ、約束を守らせることはできたが、前任のときに出した翻訳書の増刷の際に、その仕返しをされる。
サマリー
デビュー
私は21歳のときに出版翻訳家になる夢を抱き始めた。
でもそれは夢の夢のそのまた夢。
イギリス留学中に、在英邦人向けの新聞にエッセイを連載し、私は書くことが天職だと確信、専業作家になることを決意した。
しかし帰国すると、貯金は瞬く間に底をつき、借金が膨れ上がる。
再就職活動をし、同時に、エッセイや英語学習参考書用の原稿などを使って、ほうぼうの出版社に売り込みをかけた。
さらに成功の確率を高めるために、感銘を受けた原書を日本語に翻訳し、その翻訳原稿と自著用の原稿をA書房に売り込んだ。
すると、A書房から、翻訳の依頼が来たのである。
喜び勇んで打ち合わせに行ってみると、編集者がこんなことを言い出した。
「弊社では、みな最初の1冊は弊社の社長の訳者名で出させてもらっているんですよ。1冊目にきちんと仕事をしてもらえれば、2冊目からは訳者名で出ます」
自分の名前は載らないということである。
だが、1冊訳せば約150万円の翻訳料が入るし、うまく行けば2冊目からは私の訳者名で翻訳書が出せる。
私は自分の可能性に賭けることにした。
順調に三校ゲラチェックまで終わり、数日後、編集部からこんな電話があった。
「いろいろと話し合いまして、いつもいつも社長の名前で出していたら翻訳者が育たないから、訳者の名前を立ててだそうってなったんです」
「じゃ、私の名前で出るのですね」
手直しが必要ないクオリティーだったから、一人前の翻訳者と認められたのだろうか。
本当のところはわからないが、こうして、ひょんなことから私の初めての翻訳書が世に出たのである。
見本日の悲劇
翻訳家にとって、見本書籍ができあがる日というのは、自分の「子ども」が生まれる日でもある。
ワクワクワクワクしながらその瞬間を待っているものだ。
見本書籍は、通常、宅配便で自宅まで届けてくれる。
ところが、刷り上がる数日前、Cセラーズの担当編集者から「直接、手渡ししたいので、いつも打ち合わせしている喫茶室までお越しください」とファックスが送られてきた。
当日、喫茶店で待っていると、担当の女性編集者が暗い表情をして入ってきた。
「申し訳ないんですが、印税は6%と言っていましたけど、4%しか払えなくなったんですよ。重版になったら、重版分からは6%は約束しますから」
わざわざ時間も電車賃もかけて出てきたのに、書籍には何一つコメントをせずに、いきなり印税を下げるっていうのか。
私はしばらく絶句していた。
「ただね、よく考えてみて。最初、初版発行部数は1万2000部って言っていたでしょ。それが1万5000部に増えたわけだし、定価も100円上がったのよ。総額としては、最初に言っていた金額とあまり変わらないのよね」
彼女はもともと「1万2000部から1万5000部」と言っていたし、定価が100円上がったといっても総額は当初予定されていた額のほうがはるかに多い。
神妙な顔つきはしているが、「埋め合わせ」の提案もない。
私の自宅付近に出向くという気遣いすらなかったではないか。
こんな調子では、反論したところでどうにもならないだろう。
そう観念した私は、うっかり「わかりました」と言ってしまった。
じつにうかつだった。
「わかりました」と言ってしまったら、もう元には戻らない。
非常に喜ばしい日のはずが、こんなにも哀しい日になるとは……。
増刷印税
その後、くだんのCセラーズの女性編集者は退職し、後任の男性編集者から仕事が舞い込んできた。
私は打ち合わせのときに、かつての印税カットに言及し、もう二度とカットはご免だと釘を刺した。
「それは申し訳ありませんでした。二度とそんなことはありませんから」
彼は素直に非を認めて、「印税6%」などの条件を記載したメールも送ってくれた。
私は安心して仕事を開始する。
ところが、出版直前のある日、彼から電話がくる。
「印税6%で計算すると、本の定価をかなり高くしなければならないんですよ。初版だけ5%に負けてもらえませんか。重版から6%という約束は守りますから」
「印税を下げることはないって、おっしゃっていましたよね」
「でも、定価を高くしたら売れなくなって、結局、宮崎さんの取り分も少なくなるんですよ。宮崎さんのためを思って言っているんですよ」
編集者が自分にとって都合のいい話をしているくせに、なんという言い草か。
そこで私は禁断の手を使い、「裁判所」というキーワードを出す。